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孤独hack

”おひとりさま”人生にをちょっとラクに

一瞬で良い、誰かを信じて身を任せたい

誰かを信じるという事は、その人に自分の思考、身体、全てをあけすけに晒し、任せる事だ。まるで水の中で脱力し、プカプカ浮いている時のように、身体の力を抜く。自分の思いをそのまま伝える事ができる。そこに一切のフィルターは存在しない。

 

僕たちは少なくとも物理法則を信じる事ができる。水の中で、肺に空気が入っていれば、人は浮くと信じる事ができる。

 

一瞬で良い。誰かを完全に信じる事ができたら、肩のにを下ろす事ができたら。いや、下ろすだけでなく、それがどれだけ重かったか理解し、疲れた肩を癒してくれたら、そしてそれを、お互いにする事ができたら。

 


SLIP | @PhillipChbeeb & Renee Kester ...

 

多くの人が抱える、世の中の問題の大半は、解決するだろうに。

 

本当に孤独な環境にいる人は、涙が出ない

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涙を流す、という行為は、生物学的には涙嚢から鼻涙管へ人間の体液と等浸透圧の液体が流れ出るだけの行為であり、特段意味をなさない。少しの水分と少しの塩分を失うだけであって、身体に大きな影響は一切もたらさない。

涙の社会的効能

しかし、社会的には、涙を流す事で対外的に

  1. 自分は今悲しい
  2. とても辛い事があり助けが必要な可能性がある

以上の2つを示唆する事ができる。つまり涙の社会的効能が存在する。どちらかというと涙するという行為は、こちらの社会的意義の方が重要で比重が大きいと言えるだろう。

孤独な人は涙を流す意味が無い

しかし、周りに誰もいなければ、社会的アピールを行う対象が0である事になる。生物学的に意味が特に無いのでれば、涙を流す意味などない。つまり、あまりに孤独な環境になれ、人に頼ったりする事ができなくなっている環境が長く続くと、人は涙の社会的効能を失い、元来生物学的には必要のない涙を流す行為というものはなくなってしまう。

 

あなたは最近、涙を流していますか?それは心からの「誰かにこの気持ちを伝えて、助けてほしい」事のあらわれかもしれません。頼れる人はいますか?いなければ、それはあなたの責任です。これから長い時間をかけて、そういう人を見つけて、時間と労力を費やしてお互いの信頼関係を構築する事に尽力しなければ、永遠にこの涙枯渇地獄からは抜け出せないでしょう。

「みんな誰かと話したい」資本主義による群れの解除と孤独な中年〜老人の量産について

病院でやたらと喋ってばかりの老人、電話口でオペレーターと雑談をしたがるおじさん、ジムの受付の人とやたらと絡むマッチョなおじさん、やたらと後輩をネチネチと叱るコンビニの中年おばさん。みんな、その本質は「誰かと話したい」という率直な気持ちに過ぎないのだと思う。

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周りに話す人がいない、という現象

これは現代に非常に特有な現象であろう。昔は、同じホモサピエンス、人類は家族単位で住んでいなかった。集団を作り、どちらかというと今でいう猿に近い生活形態を敷いていた。いわゆる「群れ」という団体である。ここでいう「群れ」とは、若い有能なオスがリーダーをして、長寿で知恵のある老人がそのバックにおり、あとは個々の家族という単位で暮らしながらも、仕事や敵との戦闘をチームで行う集団の事である。

群れが解除された現代

人類は次第に豊かになるにつれ、より心地よい環境を求め進化を続けた。ことさら「自由」と「豊かさ」を求め続けた。前者のわかりやすい例は完全民主主義制度であり、選挙権の平等である。後者のわかりやすい例は、便利な電化製品、パソコン、などのあらゆる物質的豊かさの事である。

すると、次第に「群れ」が解体され始める。厳密には、解体されより大きな群れに統合された。ー国家である。さらに戦争を繰り返し、「小さな国家」、つまり植民地は「大きな国家」、つまり先進国に吸収され、皆どこかの大きな国家に属する事になった。その後次第に植民地は返還されたが、歴史的、経済産業的にいきなり独立というわけにもいかず、内容面では先進国とつながり続けている。

大きすぎる「群れ」は「群れ」の機能をなさない

国家という大きな群れは、民主主義を行う上で必要な人類統治を行うため、必要なシステムだ。しかし、これほどにまで大きくなった群れは、もはや群れとしての機能をなさない。なぜならば、お互いがお互いを把握しきれる範囲を超えているからだ。北海道のXさんと、鹿児島のYさんは同じ「群れ」だが、顔すら見た事がないだろう。結果的に、群れの機能を失った先進国は、家族や親しい友人に人間関係がとどまってしまうのである。

しかし、今度は人間が「近所」という「群れ」を作り出した。祖母の話をきくと、昔は近所でとにかく助け合っていた、という。具体的には、料理があまったらあげるし、子供の面倒をみてもらったりもしたし、一緒に晩ごはんをしょっちゅう食べていたという。これが「群れ」としての機能をなしている、小さな群れであろう。しかし、人類は、特に先進国は、資本主義に則って進化を続け、今やご近所付き合いというものがなくなってしまった。ここでまた、小さな群れを得るチャンスを失った。

「小さな群れ」を作り属する事で孤独を解消できる

ここで、やはり親しい限られた人間関係だけの人というのは、より孤独に陥りやすい。なぜかというと、相手の人間関係の広さが広かった場合、あなたにかけられる相手の時間は、あなたが相手にかけられる時間より少ないからである。そしてその確率は低い。

資本主義の現代、時間というものの貴重さはより高まっている。群れを失った原因でもあるこの時間だが、その価値は個々で多様である。その時間価値の感覚が自分に似通った人でないと、少なくとも一方は孤独に陥る可能性は高い。群れが解消された現代では、その親しい人以外に話す人がいないのだから、持て余した時間で誰かと話す事はできないわけだ。

そこで、なるべく自分に近い人と出会える確率を高めるため、試行回数をとにかく増やす。そのためには「小さな群れ」に入る必要がある、大きな群れではいけない。理由は先ほど述べたように、お互いがお互いを把握できないからである。そこで共通の趣味、気の合う人、などを見つける事が、「誰かと話したいだけ」の人を救うだろう。

嘘つきは孤独の始まり

人間、誰しもが嘘をついた事があるはずだ。ここでノーと言う人は、それすら嘘だという事に過ぎない。

 

行きたくない飲み会に誘われ、予定があると嘘をついたり、本当は持ってない、やった事ない事を持っている、やった事がある、と言ったりする。煩わしさから逃げたり、プライドを保つために嘘をつく。それ自体は何ら普通の事で、異常ではないだろう。

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嘘をつく=その人と距離をおく

基本的に、人に嘘をつくという事は、こちらの真実の情報を相手に伝えないだけでなく、ねじまげてあたかも真実のような偽の情報を渡す行為であって、相手にとって非常に不誠実な行為である。

 

もちろん、相手はその情報を真実だと思い込むから、それが不誠実な行動である事は伝わらない。しかし、自分から相手への不誠実な気持ちは残る。さらに言えば、相手がそれを嘘だと気付いたとき、相手は自分に対して大きな溝を感じるだろう。私には真実を伝えられないんだ、そう思うだろう。そういう行為が発覚した時、このように思うのは人間であれば普通の事である。

 

嘘をつく時は覚悟しろ

だから、嘘をつく時は、「嘘をつくという行為は、ついた相手と距離が空く事が伴うんだ」という自覚を持って嘘をつく事を忘れてはならない。知らず知らずのうちに嘘を積み重ね、いろんな人との距離が空きまくってしまった結果、孤独に悩んでいるのだとしたら、それは自分が撒いた種で同情の余地はない。嘘をつく行為の意味を頭の中に常に入れておく事で、切ってもいい人間関係、切ってはいけない人間関係、それらの区別に対して合理的に人生を進める事ができる。

 

嘘をついて有限の時間を有効に使うのは、時として人生を潤滑に進める。不要な人間関係に心をすり減らすくらいなら、その関係を嘘というナイフで切ってしまうのも1つの手段である。なのでやめろとは言わないが、せめて「嘘はよく切れるナイフである」という覚悟をもっておかないと、いつのまにか孤独の海に放り出され、誰とも心を交わす事ができない状態に陥ってしまうだろう。

現代人がSNSによって孤独を感じるのはなぜ?

最近、「孤独」という言葉が頻繁にメディアに出てくる。一般的な孤独はもちろん、老老介護の果ての孤独死など。女性誌にも「おひとりさま」という言葉が出て来て、これはどちらかというと「自立していて群れずに行動できるカッコイイ女性」みたいなイメージの言葉だ。仕事ができる孤独なキャリアウーマンを応援する、そんな誌面なのだと思う。そんな、現代の大きなトピックとして存在する孤独、というものについて、なぜ現代はここまでとらわれているのか。事実、現代人は昔の人より強く孤独を感じているのではないだろうか。

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SNSを使うほど孤独を感じやすい?

SNSは便利だ。知りたい情報、つながりたい人とのつながり、遠く離れた知り合いの近況、すべてが詰まっている。それでいて誰かのつぶやきを見る事で、ヒマつぶしにもなる。1人でいる時間に、つい触ってしまう。今となっては、牛丼屋で牛丼を食べながら、下を向いてスマホを触っていない人は、皆無と言ってもいいぐらいだ。それくらい、孤独な時間においてつい使ってしまうサービスだ。

そんなSNSだが、興味深い事に、TwitterFacebookを使えば使うほど、孤独を強く感じる、という事があるらしい。

【半数以上が孤独と回答】FacebookやTwitterを使えば使うほど孤独に感じるって本当? | AppWoman

 

相対的孤独感の原因としてのSNS

このSNSの発達が、若者を中心に孤独感を高めている、というのは真実だと思う。なぜなら孤独感とは相対的なものであるからだ。それについては少し前に記述した。

この仮説が正しければ、SNSを使えば使うほど孤独を感じる、というのは納得できる。クリスマスに1人でいる時、Facebookでカップルの写真を見るのは孤独感を強める。卒業の時期に、皆が飲み会に行っているのに自分だけ行かず、Twitterで写真を見たら孤独を強く感じるだろう。これらの思考実験が正しいと感じるだろうか?であれば、少なくともあなたの感じる孤独の原因の1つにSNSがある、という事は確実に言える。これを証明できるN数が増えれば、現代人が抱える孤独の原因の1つとしてSNSがあげられる、と言ってしまってもよいだろう。

 

SNSから感じる孤独を取り除くには

まずSNSをやめる事、これは誰にでも思いつく。しかし、なかなか辞めるとなるとそれは難しい。スマホが普及しすぎて、あまりにも手軽に使えるようになりすぎた。もう1つは、SNSを「僕私のリア充アピール」の場、でなくさせてしまう、という方法がある。

SNSというのは、どうしても「自分が調子の良い時の事」をアップしてしまう。誰々とのんでいる、海に行ったディズニーに行った、彼氏と付き合って2年、などなど、「僕私は充実した人生を歩んでいるんだ」という対外アピールの手段として使われてしまう。「1人酒なう」や「卒業間近で誰にも飲みを誘われずぼっちなのは私です」みたいな、自虐を含めたリアルな裏面は恣意的に排除されてしまう。これは仕方ない事で、誰しもが自分を低く見せるような事をわざわざ外に向かって発信しよう、とは思わない。

だから、このリアルな裏面を外に出す事=自虐、恥ずかしい、という空気そのものを、変える事ができたら、SNSから派生する孤独はなくなる。自分が1人でこんな事をしている、などなど臆せずどんどん発信できる。周りと比べられるから、という理由で変に見栄をはる必要がない。いかがだろう。利用しやすい、住みやすい世界だとは思わないか。むしろそれが本来の、暮らしやすいネットの世界だったのだろ思う。現実で気を張っている、みえをはっている、そういうものを全て取っ払える、そんな世界がインターネットであって欲しい。ただ便利なだけではない。すでにインフラと化したネットの世界の住みやすい環境づくりを、僕らの手で作り上げて行く事も必要なのではないだろうか?

そのために、自らそれを行う必要がある。自分を良く見せようとしない、今風に言うと「ありのまま」の自分を出す。女子大生がこっそりマックに行って、ハンバーガーをむしゃぶり食ってもいいじゃない。おじいちゃんがTSUTAYAでAV借りて1人で楽しんでもいいじゃない。そういうのを、発信するし、周りの発信に対して受容もする、そういう空気を作る。いきなりは無理だという事であれば、匿名アカウントを作ってみて、試してみるのも良いかもしれない。