孤独hack

”おひとりさま”人生にをちょっとラクに

孤独な人ほどジムで勤勉に体を鍛える

孤独な人間ほど、ジムで体を鍛える傾向にあると思う。少なくとも私自身、また私の唯一と言える親友がそうである。

 

孤独な人間は、常に不安を感じている。それは自分が孤独で、対外的な価値付けが無いため、もしかしたら自分は社会的に全くの無価値である、という可能性を捨てきれないからである。もし孤独じゃない人がいたら、周りの人から必要とされ、自分の対外的価値を知りたい知りたく無いに関わらず、知る事になるだろう。しかし孤独な人間というのは、常に自分が一体何者で、一体何の役割があるのか、ただの自動生存機能がついた肉の塊と何が違うのか、そういうやや哲学的な疑問から逃れる事が出来ない。

 

しかし、端的に言えば、ジムでのトレーニングは孤独に効くのだ。

 

まず時間がかかる。集中して2、3時間、週に2回程通うのは、中々時間をとられる。この「忙しい状況」を自ら作り出し時間をつぶす事で、自らの孤独感をうやむやにする、といった行動は一般の人にもよく見られる。「暇はつらい」「暇より忙しい方がいい」「何も無い日が嫌だ」「とにかく予定を埋めたい」そういう感覚の人もこの記事を見ている人の中にも存在するかもしれない。

 

次に、筋肉トレーニングそのものの効果として、体が強く大きくなる、というのが上げられる。これも孤独に効く要素なのである。というのも、体が強く大きくなる、というのは、人間がマンモスを狩っていた頃、原始人だった頃でかなりの価値をもったステータスであったはずで、それは現代人にも受け継がれ、やはり体の大きいオスというのはそれだけでポイントになる。(とはいえ、現代ではその肉体的強靭さが学歴と反比例している傾向があり、それに伴って年収とも反比例、つまり原始時代だった頃の「体が大きい→エサをいっぱいとれる」が成り立たない。むしろ「体が大きい→エサ(年収)が少ない」の方が成り立ちつつある、結果、「体の大きさはそんなに気にしない」という人もいるかもしれないが、それはあくまで体の大きさが気にならないのではなく、体の大きさの向こうのエサ(金)の量を見据えての発言である可能性が高い。)体が大きい、オスとして強い、というのは、原始時代から長い間、戦いを繰り返して来たホモサピエンスという種の遺伝子に刻まれた共通認識であり、それは広い対外認識である。つまり、この「オスとして強い」という遺伝子からの対外価値を得る事が、私たち孤独な人間に対外価値をもたらし、精神を安定化させていると考えられる。これは、「美しいメス」というのも同じで、孤独な女性ほど美しさに対する欲求が異常で、美容整形を繰り返す傾向にある、という仮説にもつながってくる。