孤独hack

”おひとりさま”人生にをちょっとラクに

クリスマスに無理に女子会を開こうとする女の心理について

周りを見ていると、女の子はどうやらクリスマスを1人で過ごすのが嫌らしく、彼氏がいない子達は無理矢理女子会という名の下飲み会を開く集団が多そうだ。

 

そう考えると不思議だ。女は「孤独である自分」を周りにみられたくないのだろうか。学生時代だってトイレにやたらたむろするし、常に集団行動だ。あれに何の意味があるのか常々考えて来たが、おそらく女という生き物にとって、「自分はひとりぼっちです」とさらけ出すのは生存の段階で何かしら不利なのだろうな、という仮説にたどり着いた。これぐらい大きくて普遍的な話じゃないと、全国各地で均一にみられるこの現象が説明できない。

 

長い集団生活を洞窟の中で過ごして来たホモサピエンスのメスたちは、おそらく独特のコミュニティを形成していて、その中でハブられるのがかなり生存上危険だったんだろう。それが遺伝子に刷り込まれて、「女子コミュニティ」からハブられないようにするために「女子コミュニティ」に積極的に参加し、結果的に「女子コミュニティ」を保っている、という目的と手段がごちゃまぜな事になっている気がする。女子コミュニティにハブられても問題が無いようにすれば、面倒なこのコミュニティ維持のためのコミュニティ参加に時間をとられる事は無くなるだろうに。

 

もう1つは、やはりメスは求められる側であった歴史が原因な気がする。つまり、旧来の生物学的な女性の価値は「どれだけ求められるか」であり言わば「どれだけ人気か」が価値のわかりやすいレッテルとなり得た。結果、とにかく自分の周りに人がいる環境を欲しがり、孤独な状態を恐れるようになった。それを裏付けるのは、「1人でいる事そのものに対して何か特別辛いとか苦しい」という感情を抱く女性が少ない(少なくとも私の周りではそういう意見が多い)けど、1人でいると「周りの目が辛い」という人が多い、という事だ。女性は孤独を恐れているのではなくて、「私は孤独です」というサインが外部にもれてそれが世間にさらされる事を恐れているのだと思う。

 

以上の事から、クリスマスを1人で過ごす予定の女性は、それをうまく隠すか、さらけ出して女子会を開くか、本当は1人なのに嘘をついて周囲にバレないようにおとなしく家で1人で過ごすか、3つの行動に出る可能性が高そうだ。どれもうまく「私は孤独です」サインが外部に見えないようになっている。

 

あくまで個人的な考えと仮説です。