孤独hack

”おひとりさま”人生にをちょっとラクに

孤独な老人の末路、クレーマー

今日、少し空いた時間があったのでゆっくりしようと相も変わらずスターバックスに寄った。正月三が日とだけあって、あまり混んでいないし少し本でも読もうかと思って。しかし、決してゆっくりと静かにコーヒーを飲みながら読書、というわけにはいかなかった。

うるさいジジイがいた

いわゆるクレーマーというやつ。挨拶がなってない、スマイルが足りない、俺が経営者だったらこうする、などなど。基本的に「サービスに対する経営者目線での批判」がほとんどで、サービスに対してあつく語っていた。おかげで全く休まらなかったよ。

クレーマーの根源

話はここから。一体彼は、なぜそうなってしまったんだろうか。たまにクレーマーという人種がいるが、基本的に共通しているのは「上から目線」「同じような事をくどくどと」が多いと思う。「上から目線」なのは、自分がサービスの受け手であって、かつサービス提供者が大学生みたいな若い世代の人が多いため、結果的に「年配」というパラメータがクレーマー属性と言える。「同じような事をくどくど」言うのも、もはやサービスに対する改善を目的にしているのではなく、クレームを入れる事を目的にしている、もしくは自分の口の体操を目的にしているかのどちらかしか考えられない。

孤独な老人の末路

彼らは話し相手がいないのだ。今までの人生で、孤独にならないように周りと妥協し、相手を気遣い、自分をある程度犠牲にして相手に合わせるような事をしてこなかったのだろう。人間関係のメンテナンスを怠った結果、彼らは死に近づいてなお孤独で、話し相手を求めている。しかし、若い人と話は基本的に合わないし、ましてや人と話ができるタイミングというのも、彼らが何かしらの経済活動を行っている際に必要なコミュニケーションだけ、という限定された条件から、クレームという手段をとらざるをえなかったと考えられる。若いサービス提供者としか、会話できるチャンス(とはいえそれは本来その経済活動をする上で必要最低限なもの、「◯◯を1つ」「××円になります」といったもの)がないが、若いサービス提供者と会話できる方法が「上から目線の文句」しかないのだ。悲しきかな、彼らは人と話したいがために、周りの気分を害し、店の雰囲気を悪くし、より孤独への一歩であるクレームを入れるのである。

日本の未来を考える

今ですら4人に1人が高齢者と言われる日本だが、あと数十年で2人に1人が高齢者になるらしい。そうなると、もはや高齢者が経済活動を行うようになる。現行の年金制度では年金は間違いなく減る(減らさなければ国が滅びるので減らすに違いない)、経済活動の生産を行う人口が減るが、これは年金の減少によって無理矢理「高齢者の労働」によって補われるだろう。そうなると、「サービス業に従事する人」いわゆるパートやバイトと呼ばれる雇用形態で働く人、が若者から高齢者に取って代わるだろう。そうなると、高齢者は基本的に、最も会話をするチャンスがあるサービス提供者が高齢者という事になり、先ほど述べた「上から目線」になる事が難しい。なぜなら同年代であるから。同年代は同年代のコミュニティがあり、やはりそこに文句やクレームを入れると、そのコミュニティ内で村八分に合う。そのコミュニティとは高齢者のコミュニティであり、そこに自分も含まれる。つまりもう、「孤独の対処法としてのクレーム」を使う事ができなくなる、と予想できる。今の世代が孤独な老人になる頃には、今よりもより辛く苦しい未来になっているに違いない。

 

引き際の美学 (朝日新書)

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