孤独hack

”おひとりさま”人生にをちょっとラクに

孤独の原因としての他人への共感能力の欠如

他人に共感できない

私が孤独である理由の1つに、他人への共感能力の著しい欠如があげられる。私は他人の悲しみ、苦しみに対してひどく無関心らしい。あくまで人から言われる事なので、実感としては無いのだが。しかし、実際にその他人が悲しんだり、苦しんだりしている状況に自分を置いてみても、本当に苦痛でない場合が多々ある。いわば、社会全体で共通認識として持っているモノサシのようなものを、どこかで損ねてしまったのかもしれない。

 

小学校の時、算数と漢字のドリルという宿題があった。だいたい1学期ぶんで算数なら35ページほどあり、それを1学期かけて3周するように教師が宿題を設定する。学期の最初に1年分まとめて配られたのだが、毎日出すのが面倒だったので、1週間で1学期分、3周終わらせてまとめて提出した事がある。どうやらそれは異常だったらしく(今考えても非常に合理的だと思うが)、教師が驚いていたのを覚えている。

 

共感能力の欠如が時に高いパフォーマンスを生んでしまう

その宿題をまとめて提出した際、私が1番驚いたのは、周りがその行為を賞賛していた事だ。本来なら苦痛、であるらしいもの、今回で例えるなら1日15時間ほど、それを1週間かけてぶっ通しで算数ドリルと漢字ドリルを集中してやってしまう行為、は、周囲からなぜかたたえられてしまったのだ。これが私を困惑させた。「なぜこんなに賞賛されているのだろう」「50m走で1位になる方がよっぽど難しいのに」「むしろなんでみんな毎日宿題なんてものやっていられるのだろう」こんな気持ちでいっぱいだった。それは、初めての明確な社会からの隔離だった。

 

こういった、苦痛への無関心から生まれる行為は、時に周りからの賞賛に変わってしまう。「スゴいね、よくそんな頑張れるね」「よくそんな事できるな、スゴい」「本当勇気あるよね、尊敬するわ」。当の本人は全く持って「?」だ。

 

過去の圧倒的な苦痛が今のそこそこの苦痛をまひさせている

私が考察するに、この感情の原因は「これよりもっと辛いことがある」事を知っている事だと思う。私は幼少期、母親から暴力を受けていた。今では治ったが、つい数年前までは、目の前で母親が手を頭より上に持って行く動作を素早く行った時、反射的に手で頭を守ってしまう動作が出てしまっていた。この経験が私の今までの人生の何よりも辛い経験だった。夏場のサッカーの練習より、受験勉強より、事故で内臓損傷し入院した時より、圧倒的に辛く苦しい体験だった。

 

それに比べて、宿題がどうとか、喧嘩して歯がとれたとか、友達のお母さんが死んだとか、だれそれがなにがしの病気でも苦しいとか、もはやどうでもよかった。取るに足らない出来事だった。私は、とにかくくだらない宿題というものを毎日学校にもっていくのが面倒で、出しただけだった。ほめないで欲しかった。自分のモノサシが、他のみんなと違う事を認識させないで欲しかった。他人への共感を難しくしている、”モノサシの取り違え”を確信した。

 

小さい時入院した際にも、母親は私を不憫に思って色々やってくれたが、どれもどうでもよかったのを覚えている。興味が無かった。むしろ、その「”罪を償うように私に献身的になる”母親」が滑稽のように思っていたかもしれない。その頃から、母親が病室からいなくなり、独りになると、安心していた。看護師さんが見回りに来ても、話しかけられたく無いから寝たふりをしていた。孤独の萌芽がそこにあった。

 

病院を退院すると、たまーにこっそり、誰にも気づかれないように、押し入れの中に10分ほど入る事にハマった。小学校5年生だ。ひどく安心した。ここには自分の感覚と、思考しかない。誰も邪魔しない。真っ暗で何も見えないし、音も無い。残された感覚は触覚のみ。扉を開けると、一気に現実が迫ってくる。だから扉をあけるのが嫌だった。できる限りそこにいたかった。今でもこの感覚は鮮明に覚えている。独りが快感に変わったのだ。私は母親から逃げる手段として、孤独を勝ち取ったのかもしれない。

 

この話を、誰か信頼できる人に面と向かって打ち明けられた時、私は孤独じゃなくなるのかもしれない、と勝手に思っている。