孤独hack

”おひとりさま”人生にをちょっとラクに

孤独の正体について

孤独の正体は何だろうか。ここで一つ思考実験をしてみよう。

 

あなたは今、この地球という惑星にいる、人間という動物である。人間という動物は、少なくともその生身の状態では他のいかなる生物種とも意思疎通、交信、会話、などを行う事ができない。同種間でしか通信、情報の交換は行えないとする。

 

あなたは地球にいる最後の人間である。とある理由で、あなた以外の全ての人間は消えてなくなってしまった。上の定義から、あなたはいかなる生物とも意思疎通をはかる事はできない。正真正銘、あなたは古典的な「孤独」な状態にいる。

 

信号機だけが動き続ける渋谷、風がひたすら木々をゆらす森、時には雨が降り、晴れ、四季は折り重なり自然はいつもと変わらない。いないのは人だけ。それ以外に何も、変化は無い。もちろん、テレビ、Youtube、ブログ、全ての人間発信のメディアはストップしている。サーバーが停止しておりサービスが展開されていない。全く持って利用できない状態になっている。電力の供給も止まっており、電光掲示板や渋谷の巨大スクリーンは電源が落ちている。

 

さあ、どうだろうか。孤独を感じるだろうか。

 

私は孤独を感じない。他に動くものはあって、生命体もいる。自分は独りだが、本当に独りなのだ。周りから比べる事もない。クリスマスや金曜日の夜、独りでいて後ろめたい、「何かしら自分が欠落しているのではないか」と思うような事もない。なぜなら自分が正真正銘、完全に孤独だからだ。孤独は社会的生命が感じる、相対的疎外感の事を指し示している気がするのだ。比較対象が無いと、成立しない感覚、という事になる。今回はその比較対象、つまり同種の定義として「言語などで意思疎通をはかることができる相手」とした。もし鹿や鳥や蛙が流暢な日本語を話ているようだったら、それはそれで孤独を感じる気がしたからだ。もちろん今回は仮定の話だが、究極的に孤独を突き詰めるとそれは孤独ではなくなる、そんな気がしている。

 

昔、中国では仙人という存在が完全孤独で山にこもる、というような事をしていたとどこかで読んだ。また、100年解かれなかった、かの「ポアンカレ予想」を解いた、フィールズ賞を受賞したロシア人天才数学者”グレゴリー・ペレルマン”は、フィールズ賞の賞金1億円を辞退、失踪してしまった。その後山に引きこもっていて、キノコを採取していた所を発見されたそうだ。根拠は無いが、彼は孤独を感じていないハズだ。