孤独hack

”おひとりさま”人生にをちょっとラクに

孤独に悩む人は”solitudeとloneliness”の違いを認識すべき

日本語では「独りぼっちでいる事」という意味の言葉は「孤独」、これ1つだけ。しかし、英語では「孤独」を意味する単語としてlonelinessとsolitude、この2つが存在する。

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solitudeとlonelinessの違い

辞書で調べてみると、solitudeとは"solo"の語源でもあり、どちらかというと孤独という状態を表すよりは、”1人”という数字的な概念を色濃く表している。日本語でも「ソロデビュー」という単語があるが、これは「孤独にデビュー」という意味ではなく「1人(単独)でデビュー」という意味になる。一方lonelinessは日本語の「孤独」とほぼ同義であり、社会的につながりや連絡が無く寂しい状態を意味する。つまり、solitudeは簡単に言ってしまえば「lonelinessから寂しさを抜き去ったもの」に近いと思われる。

試しに「enjoy solitude」と「enjoy loneliness」のGoogle検索結果を見てみるとおもしろい。「enjoy solitude」は1億100万件ヒットするのに対して、「enjoy loneliness」は1680万件しかヒットしない。つまり英語圏の人にとって、solitudeは(少なくともlonelinessよりは)enjoyできる、楽しめる性質を持っている、という事がわかる。

 

「孤高」という日本語

少し意味が外れて、「孤高」という単語が日本語には存在する。Wikipediaによると

孤高(ここう)とは、個人の社会生活における1つの態度を表し、ある種の信念や美学に基づいて、集団に属さず他者と離れることで必要以上の苦労を1人で負うような人の中長期的な行動とその様態の全般を指す。本来は俗世間との通行を自ら断って1人で道を求める者の姿を指しており、私利私欲を求めず他者と妥協することなく「名誉」や「誇り」といったものを重視する姿勢から、周囲が「気高さ」を感じるような良い意味での形容に用いられる他に、協調性を欠いた独自の態度を軽く批判する場合にも用いられる。迎合主義の対極に位置する。芸術家や指導者に多く存在する。

という意味らしい。つまり、「(仕事などの)とある目的意識を持ってsolitudeとなる事」と言える。solitudeはenjoyできるものであるから、必ずしも「孤高」とは言えない。しかし「孤高」である事は「孤独=loneliness」ではなく、"solitude"である、という事は言えると思う。

 

solitudeならいいじゃない

自ら1人でいる事を選び取り、自由を勝ち取り、その生活を楽しんで満足している場合、どれだけ行動が単独、1人で行っても、それは日本語で言う「孤独」=英語で言うloneliness、ではなくsolitudeである(楽しめているから)のだから、それは「孤独」とは言えない。つまりそういう人は、孤独ではない。どちらかと言えば「自立」して「自由」な人、という表現が日本語ではあてはまると考えられる。

ここで問題なのが、社会的に「孤高」は良いとされるが、solitudeはどうなのか、という話だ。マンガでも「孤高のメス」なんていうタイトルがつくと、カッコイイ。手術の腕を上げるためだけに集中している、職人肌の気質にピッタリだ。では、solitude、目的の無い「孤高」の状態はどうか。僕は、本人がそれで良くて、周囲に悪影響を及ぼしたり迷惑をかけていないのであれば、「賞賛されるわけではないが非難するような事ではない」のだと思う。確かに目的意識を持って、自らsolitudeとなり、ある事に専念し社会に影響をあたえる、という事は素晴らしい。しかし、全員が全員そういう「孤高」である必要は無く、「別に普通」という意識が正しいのだと思う。

 

「solitudeが普通」な世界

しかし、日本だとどうしても「おひとりさま」に抵抗がある、という人が多いと思う。長らく稲作をし村社会を形成してきた我々の先祖は、「ひとり」という状態が危険、良く無い事だとDNAに刻んで来た。確かに、村やチームで行う稲作のような事は、そのチームから外れる事、いわゆる村八分にあう事は死を意味する。しかし、現代はもはやそのような古い概念にとらわれるような業務形態ではないし、むしろ成長を阻害する因子である。それに気付き、いち早く対応しようとしているのが、若い世代である。最近は飲食店でも”しきり”がある店もある。居酒屋でも”完全個室”が人気だ。今の20〜30代は、そういった意味の無いチームワークを捨てた世代でもあると思う。これが浸透し、「solitudeである事が普通」な世界になってくれれば、おそらくそこは生きやすい世界じゃないか、とも思っている。

 

とあるドイツ人のおじいさん

僕は去年の3月、東南アジアのある島にいた。国はマレーシア。そこで、海で本を読んでいた僕の元に、とある欧米系の老人男性が訪れた。「サンオイルをかしてくれないかい」と、少しなまった英語で話しかけて来た。もちろんOKし、彼は礼を言ってサンオイルをぬっていた。話をきいてみると、彼はドイツから来た人で、どうも1人で来ているようだった。毎日決まった時間に現れ、同じ新聞を読み、同じコーヒーを飲む彼は、いかにもドイツ人らしい性質の人だった。少し強面だが、物腰は柔らかく話しやすい。やはり僕のような若い世代と話すのは楽しいらしく、いろんな旅行者と話していた。さて、彼は孤独なのだろうか。僕はそうは思わなかった。あれが成熟した男の姿なのではないか、あれがlonelinessではなくsolitudeではないか、と今でも思っている。有限の時間の中で究極の自由を手に入れる。好き勝手できる。南の島に長期滞在し、フルーツをかじってペーパーバック片手に日光浴。好きな事を好きなだけ、好きな場所で。あとは死を待つ。素晴らしい人生だと思う。

 

孤独に耐える具体的な方法について

人は誰しも孤独と戦うタイミングがある。それは人間が微生物であるボルボックスのように群体(いくつかの個体が寄り添って1つの個体としてふるまう)を形成しない、かつ脳が発達した唯一の動物だから、だと言えよう。人間が感じる孤独感について、簡単に分類するとこうなる。(先に断っておくと、これは持論である。体験と思考にもとづいた、1つの考え方である、という事を前提に読み進めて欲しい。)

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まず孤独は内的孤独と外的孤独の2つに分けられる。内的孤独は、単なる”孤独”であり、自分が感じる孤独感そのものの事。「何となく寂しい」「ひとりぼっちで憂鬱」といった感情、ストレートで出たままの感情がこれにあたる。一切の複雑な影響を受けない、生の感情だ。

 

一方外的孤独とは、社会的に周囲が孤独ではない状態になっていたりして、相対的に自分の孤独感が目立ってしまう事で感じる孤独感のこと。「クリスマス」や「周りが結婚しまくる年代(20代後半)」時に感じやすい。あくまで外的孤独は相対値であって、よくよく考えると自分のライフスタイルは一切変わっていないのに、感じてしまう孤独感の事である。この2つは孤独感の発生要因が異なるため、その対処法も異なる(と思われる)。

 

内的孤独に対する対処法

内的孤独は「お腹がすく」のと同じように、非常に生理的で根源的な現象だ。つまり、その根源的な孤独感を解消しない事には、内的孤独感を解消する事はできない。単純に、孤独と真逆の行動をとるしかないのだ。そのためにはどんな形であれ「他人と関わる事」が最も単純で効果があると思う。ちょっとした電話、会話でもいい。しかし、それができない場合、つまり他人と関わる事が出来ない場合、「別の行動で時間をつぶす」という、いわゆる”趣味”に費やすといった手法がある。具体的には以下のアプローチが考えられる。

 

【他人と直接関わるアプローチ】

  • 会話をする(行きつけの店に行く、友人や家族・趣味の仲間と会う)
  • 共に何かに取り組む(仕事を始める、仕事を変える、新しい趣味を始める)

 

【他人と直接ではない方法で関わるアプローチ】

  • 会話をする(電話、手紙、SNSSkype、など)
  • 共に何かに取り組む(オンラインゲーム、Web開発などの仕事)

 

現代はインターネットの発達により、人と関わる事がさほど難しく無くなった。知らない人と、趣味や好きな事、共通点を通じてつながる事の物理的な障壁が無くなった。そういった意味で、これからもこの技術が進化していく事を考えると、「インターネットを経由して間接的に人と関わる」事がメインになってくると思われる。しかし、これにもデメリットがある。やはり人というのは、顔をみて、目をみて、表情の変化をみて会話をする。他にも語気、ちょっとした口の動き、視線など、様々なノンバーバルコミュニケーションがある。これらを介さない会話の場合、やはり真意を読み取る事は難しく、率直に言ってしまうと「ものすごく仲が良くなる」事は難しいと思う。つまり、短期的に自分の孤独をまぎらわせてくれる事はできるかもしれないが、生涯にわたって密な関係を築く事を必要としている場合、いつかは「直接」関わらないといけなくなる。あくまでそのきっかけとして、もしくは短期的な関係でのみ、ネットは有効になるだろう。

 

外的孤独に対する対処法

これはあくまで相対的に感じるもの、であるから逆に対処しやすい事になる。また、内的孤独と合併して孤独感を感じている場合も多いはずなので、きちんと自分を分析する事が正しい対処法につながると思う。対処法は以下のようなものが考えられる。

 

【周囲を変える】

  • 住む場所を変える
  • 関わる人間を変える

 

【自分を変える】

  • 強い自我を持つ(「他人と自分は違う」事を強く意識する)
  • 自分の価値を別のところに持って行く(経済力、容姿、時間的余裕、その他一般的に羨望の対象とされるステイタスを得る)

これらの方法が考えられる。とはいえ、「外的孤独を感じない場所」というのは得てしてそもそもの人が少ない(田舎)、孤独な人ばかりいる(あまり治安がよくない)というどちらかの性質を持っている可能性が高い。どちらかというと狭く、ムラ社会で、いやでも相互依存的に生きて行く、そういう土地になってしまう。ある種「真性のひとりぼっち」には向いていないのかもしれない。

また、「人を変える」という方法が有効なのは、「周りの人達と合わなくて(かつその原因が自分でなく周りにあって)孤独になってしまっている」状態でのみ有効であって、自分の中に何か欠陥、よくないところがあって孤独に陥っている人が、周りの関わる人だけ変えてみたところでまたそのコミュニティで孤独になってしまうだけだ。ある種「コミュ障のひとりぼっち」は向いていないかもしれない。

自我を変える、というのは、長い時間がかかる。しかしこれを行わないと、この外的孤独から完全に抜け出す事は難しい。ので、ゆっくりと時間をかけて自分という人間を理解し受け止める事は、必ず行わなくてはいけない。どの手法をとっても、同時並行的に進めなくては行けない作業だと思う。

最後の、「別の価値を見いだす」というのは、最もオススメな方法だ。というのも、何か社会的に突出したものがあると、それが仕事や能力として認められ、自分の自信につながる。自分はこういう事ができる、こういう事が得意。こういった社会的有能感は、自我を形成する上で重要なメタ認知だとされる。また、道として明確で見えやすいというのが良い所でもある。何をすればいいのか、努力の方向性がわかりやすい。さらに言えば、ある程度のステータスを身につければ、生物として有能と認められ、人から信頼や期待をされる。これがさらに、その期待や信頼に答えたいという原動力となる。さらに努力を続ける事が出来る。こうして強く成長し、もしかしたら人生に於ける重要な人物との関わりが生まれるのかもしれない。人との関わりというのは、悲しいが「基本的な信頼」ありきの関わりであるから、その信頼の尺度としての肩書き、経済力、容姿、身なり、言葉遣い、などが重要になってくる。

 

家でできる手軽に不眠症を改善する方法

よく「眠れなくてもベッドで目を閉じる」事が大事、のような事が言われているが、これは実はまちがい。「不眠」への対処法の情報が錯綜する中、医学的根拠に基づいた不眠への対処方法を今回はまとめた。(参考文献:医師国家試験過去問)

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過度な運動は避ける

過度な負荷は体が「緊急事態だ、頑張らねば!」と意識し交感神経が優位になる。もちろん時間が経てばそれはおさまるが、時間がかかる。直前は避ける事。

 

湯船につかる

特に冬場で有効だとされている。寒冷地にいると人間の体は抹消の血管をしめる事で、中枢に血液を集める事で体温を保持しようとする。「抹消の血管をしめる」のは交換神経の役割で、逆に広げるのは副交感神経の役割である。

そのため、体をあたためて末梢血管を拡張(副交感神経優位)にする事は、入眠を助けてくれる。

 

アルコールを摂取しない

一見、アルコールを摂取すると良い睡眠、深い睡眠を得られるような気がするが、これは間違っている。

アルコールを分解する際、加水分解といって水を使ってアルデヒド、酢酸と科学組成を変化させ無毒化する過程が体内で行われるが、この時体内の神経系は交感神経が優位になるので、眠りが妨げられる。

また、利尿作用が強く、夜中にトイレに起きたりするため、これもまた睡眠を妨げている。正確に言うと、アルコールは「入眠を助けるが睡眠の質を下げるため、トータルで睡眠を妨害する」と言ったところか。

 

ベッドで作業をしない

スマホやパソコンをいじらない。寝付くまで何かしたい、というようであれば紙の本を読む程度にしておく。

 

眠くなってからベッドに入る

「あくまで ベッドは寝るところ」という刷り込みを行う。条件付けとも言う。梅干しを見るとよだれが出るように、ベッドに入ると眠くなるようにするためには、眠くなってからベッドに入るクセをつけるしかない。

どうでもいいが僕はコンタクトを使うので、眼鏡をする時は無条件で寝る前。そのためコンタクトをせず眼鏡で午前中を過ごしたりすると、猛烈に眠かったりする。思いのほか人間の刷り込みの効果は大きい。

 

眠れなかったらベッドから出る

つまりそういう事だ。とにかく「ベッドは寝るところ」という事を意識させる、という意味では上の方法と同じだと言える。

 

男1人で始めるオススメの趣味7つ

自他ともに認める多趣味な僕、今回は色々やってみて、1人で始めるには割と楽しめるなと思ったものをいくつかご紹介。

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1、カメラ

これは王道中の王道。旅行をよくする人でも、旅行はしないけれど山に登るという人でも、旅行もしないし山も登らないけれどペットを飼っていて家でペットを撮りたいという人でも、カメラがあると一気に生活の幅が広がる。趣味としての「カメラ」の「他の趣味との調和性」はかなり高いので、カメラを趣味にしている人が多いのも納得できる。

昔と違って今はかなり高性能なカメラが安いし、何しろデジタルだから現像の技術が必要じゃない。かなりハードルが下がったと言える。とはいえ今はPhotoshopなり何なりで編集も簡単にできるようになってしまったので、良い写真にしようと思ったらそこの技術は必要なのだけれど。簡単に始められる割にはやり込めば奥がかなり深い、という事もやり込み要素があって良い。オススメは、まずは高給コンデジから。レンズの明るいものを選んで、「ボケ」を楽しむと良い。オススメはF1.8を誇る、オリンパスのXZ-2だ。コンパクトサイズで一眼レフと変わらないボケ感を楽しめる。

  

2、ランニング

まあこれはも王道と言えば王道。メリットとしてはやはり健康が手に入る、という事と、あとは気分が晴れる、季節を味わえる、寝付きがよくなる、やせてファッションも楽しめるようになる、という事もメリットとして大きい。日中に日の光を浴びると、メラトニンという体内リズムを司るホルモンが分泌され、これが1日の体内リズムを1時間早めてくれると言われている。つまり、日中に日の光を浴びる事で不眠を解消する一歩となりうる。そういった意味でもランニングはオススメだ。

問題はこれを続ける事。どうしても3日坊主になってしまうのがこのランニングという趣味の常。しかし、実はランニングにはかなりの中毒性があるとされている。走らないと気持ちが悪い、走らないわけにはいかない、そういう気持ちになるらしい。雨の日でもランニングをしている人をたまに見かけるが、おそらくこの領域にまで達したランナーなのだろうと思う。この領域になるまで頑張れば、きっと続ける事ができる。

 

3、ジム

個人的には1位。まずはこれがオススメです。初期費用もさほどかからないので、ぜひ。

 

 

4、DJ(音楽編集)

読書や映画など、インドアな趣味に飽きて来た人はDJを始めるのも面白い。といっても、今は昔のようないわゆるチュキチュキやってるようなDJではなく、パソコンをベースにしたPCDJというものが流行っている。手軽に音を編集できるので、例えば「もう少しテンポアップさせてビートを重くしたい」と思えば、そう編集できるし、好きな曲を自分でつないでMyオムニバスメドレーを作る事もできる。好きな曲を好きなようにアレンジする、これもまた趣味としては無限というか、終わりが無いので面白い。

ただ音がうるさいのでヘッドホンは必須だ。

 

5、ブログ

孤独感にも効くし、思いのほか簡単にできる。

 

 

6、資格取得

なかなか1人で始めても最も続きにくいのがこれ。そこで、もう試験を先に申し込みしてしまって、その試験に「一発でうからないと恥ずかしい」というモチベーションを付加する事でやる気を無理矢理作り出す、という方法がある。

また、あえて他分野の勉強をする事が良いと思う。文科系の人はプログラミングを、理科系の人はファイナンシャルプランナーや英語を。そうする事で一気に自分のできる事、スキルの幅が広がる。

 

7、何かを作る

作品、絵、庭、DIY、など手を動かして何かをつくる。これは元々それを昔やっていた経験がある人じゃないと、中々とっつきにくいし、続けにくい。なので何かしら外部に見せるタイミング、展覧会、コンテスト、オープンガーデンにするなど、が必要になってくる。そういった外部からの目にさらされる機会を持つ事で、モチベーションにもなるし、外部からのフィードバックを受ける事ができるので次に生かされる上、変化があるので楽しい。また、それ関係で知り合いや友人が増える事もある。

 

一人暮らしの人は今すぐブログを始めよう

あなたがもし、一人暮らしをしていて孤独を感じている、というようであれば、僕はブログを始める事をオススメする。

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ブログは自己表現の場として最適

一人暮らしをしていると、どうしても「自分が発言」し、それを聞いた誰かが「レスポンスをしてくれる」という、一連の流れがなくなってしまう。簡単に言うと会話やコミュニケーションなど、人との(仕事以外での)やりとりが無くなってしまう。僕としては一人暮らしの辛いところの大半はここに集約されていると思うのだけど、そういった「自己表現」を手助けしてくれるツールとしては最適だ、という話。

 

「言いたい事を言うだけでレスポンスがある」のがネットの良いところ

グチでも何でも良い、言いたい事をただ文字にしてブログに書くだけでいい。口は動かさないけれど、ペンで紙に書くわけではないけれど、「自分の発言」をブログに置いてくる、それでいい。普段、人と話すだけではレスポンスが返ってこない、そんな”つまらない事”や”マイナスの事”でも表現する事で、誰かしらの反応が見られる可能性を秘めているのがインターネットの良いところ。そんなネットの海を、ブログに書き溜めた言葉はふよふよ漂い続けるから、時間がたってもその「レスポンス」がある可能性がある。言葉が時間とともに消え去ってしまう事がない、ブログは一人暮らしのジレンマを解決してくれるには良いツールになってくれる。

 

コメントの性質が両極端で面白い 

そして、ネットにそうやって自分の記事を投稿し、レスポンスがあるとする。そのレスポンスは、あなたに思いっきり賛同する、というようなコメントか、それはおかしい全く賛同できない、という、両極端な性質のどちらかを帯びている。それくらい思わないと、コメントを残そう、という気にならないのが普通だから。つまり、自分の意見に思いっきり賛同してくれている人からの意見、と、自分とは全く異なる意見で、自分とは違う新しい視点から物事を見ている人の意見、どちらか一方がレスポンスとして得られる、という事になる。これは、前者だったら単純に「うれしい」と思うか、もしくは「やっぱりそうか」とある種「社会もそう思ってるんだな」という”確かめ”に使える。後者だったら、場合によっては全く相容れない場合もあるかもしれないが、多くの場合”新しい何か”を教えてくれるコメントが多い、と思う。自分と全然違う境遇、人生、性格の人からの意見は、いつだって面白いし新鮮で自分にとってプラスになりうる。